鶴峰まや子さんより

私が介助を始めた頃、私は20代の終わりの方で、都の全身性介護人派遣事業の制度がすでにあったのでした。ですから、この制度をはじめとして様々な制度を勝ちとってきた方々に尊敬と憧れを持ちつつ、自分はそれに乗っかっているという後ろめたさがありました。かと言って自分に自信が無かったので、おずおずとCILで介助界に入りました。国立には有名な「かたつむり」がありましたが、ちょっとそっちでやる自信はなかったです。
当時、一緒に暮らしていた人が、介助をやっていました。彼はとても不器用で「優秀」な人ではなかったのですが、人柄というか人間性が好かれて、信頼を得ていました。私はそういう人ではないと思い、ただまじめにやるしかないと思っていました。今思うと私はかなり「優秀」だったと思います。それはほめられたことではなく、失敗したりして笑ったり、欠点をおぎなっていくことで、人は近しい存在になるので、そういう意味で、私は温かさや楽しさを運んでくる人間ではないという劣等感でもあります。ただ、彼は、いい関係を築いていた数名の人との決別を経験して、心傷ついたのに比べ、私は今に至るまで16年余り、自分から辞めてしまったうちもあるけれど、長く続いています。
私は彼と子供を持って暮らすことを考えましたが、彼にとっては、2人とも介助で、子供を養っていくことは不安だったようでした。それは今思うと正しい判断だと思います。彼とは3年前にお別れしましたが、介助は私にいろんなことを教えてくれました。
今、改めて三井さん、新田さんの本を読んだり、新井さんの話を聞いたりすると70年代はわくわくします。あの中にあった何かをとり戻したい、新しい形で、と思います。だから介助を続けていると思います。
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by columnkk | 2012-03-28 18:31